以前、緊急外来に運ばれたことを書きましたが、実はその前にもそこに至るまでにはいくつかの前兆がありました。
僕は習慣として朝方5時ぐらいに起きて1時間ほど走る習慣をつけていたのですが、ある日を境に胸が少し違和感が出てきて、「チクッ」とした感じが出てきて、この回数が段々と増えてきて、最後には痛いを通り越して、熱いお湯を飲んだときにぐっと焼けるような痛みを感じていました。
後から思えば、これが狭心症を経験した人が胸が苦しいと言う前兆だったんですね。
そんな状態に陥ってしまったので、病院に行く際にも苦しくて自転車を止めて壁にもたれかかって目的地の病院にすら行けずに休み休み止まりながら行き、何とか病院にたどり着きました。それは鮮明に今でも覚えています。病院ではでは検査をしてみましょうということだったのですが、その病院には僕が受けなければいけない施設が完備されていなかったので、他の病院のところに紹介状を書くからそこに行くように勧められました。
すぐに設備がある病院へ検査に行きましたが、受付で「診断解析するには2週間ほど必要」と言われました。僕はその日は帰ったのですが、このままでは何か良くないなと思い、セカンドオピニオンとしてたまたま家の近所にある心療内科を受けました。すると、その先生は僕を診察するなり、「救急車を呼びますかそれともタクシーで行きますか?」と言われたので、僕は面食らって、何がどうなっているのかがよくわからなくて「なぜ?」と聞きました。
すると、先生は僕の言葉を遮り「〇〇病院にホットラインでつないだので、至急そこに行って」と言われたので、これは何かやばいのかなと思いながら反面、なんだか救急車サイレンが鳴る救急車で病院行くのもちょっとどうなんだろうと少し混乱気味に妻に電話をしました。
それから妻と子供たちでタクシーで病院に向かいましたが、着いた途端、すぐにストレッチャーに乗せられて例の集中治療室に行くのですが、その行く前にも検査として当時コロナが流行っていた時なので、コロナ検査や身体検査をしました。
1番しんどかったのが、尿道に機器を入れられたときには頭の中がぐるぐる回り本当に気持ち悪くなって嘔吐しました。僕は少し意識が朦朧としていたのですが、ストレッチャーに乗せられて、僕が運ばれている姿を心配そうに見つめる子供2人の少し悲しそうな、そして心配そうな表情は今でも忘れません。
後日、近所のセカンドビニオンを聞きに行った先生には結果、命を救われた形になりました。もしあの時セカンドオピニオンを聞かずにそのまま2週間待っていたら、多分、僕は今この「カビなしコーヒー」は作っておらず、当たり前ですが、このようなブログも書く事はなかったでしょう。
先生には、あの時、どうして僕に有無も言わさず、〇〇病院へホットラインでつないでくれたのですかと聞きました。すると先生は、この街の開業医になる前は大きな病院で同様に心臓疾患周りのエキスパートの勤務医だったそうです。
だから、僕を見た途端すぐにわかったみたいです。さらに僕が病院に運ばれた手術をした日は土曜日でしたが、その日はその地域で名医と言われる執刀医がたまたま出勤しており、たまたま僕を見たそうです。その日は、「たまたま」が2回も重なった日でした。
ストレッチャーの上で意識が朦朧とする中、僕は不安に借り立たれて、その先生に「僕は大丈夫なんでしょうか? どうなるんですか?」と尋ねた際、その先生は僕の方を振り向き、「ニコッ」として「大丈夫ですよ」と言った姿を最後に、僕の意識は無くなりました。