「完全無欠」という翻訳に、ずっと違和感がある。— Bulletproofという言葉の本質について考える — - SHIFTPOiNT|公式ストア

「完全無欠」という翻訳に、ずっと違和感がある。— Bulletproofという言葉の本質について考える —

2015年、日本語版の『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』が出版されました。

原著はDave Aspreyによる 『The Bulletproof Diet』。当時の僕にとってはかなりの衝撃作でした。

でも、読んでいて、どうにもスッと入ってこなかったんです。

なぜか——理由は、あの訳語にありました。

 

「完全無欠」って、そう訳すか?

まずタイトルに「えっ?」となったのが、Bulletproof=完全無欠という訳。

もちろん、意味を補完する意図はわかる。

でも、この日本語の「完全無欠」という言葉には、独特の古さや胡散臭さがつきまとってしまうんです。

 

「完全無欠」=アラジンの匂い?

この違和感をずーっと考えていました。多分、僕ら団塊ジュニア〜団塊世代にはより強いんじゃないかと思う。

「完全無欠」と聞くと、どこかで聞いたことがある——

そう、昭和歌謡に出てくるような、「完全無欠のロックンローラー」とか、そういう“キメすぎてちょっとダサい表現”の香りがする(笑)

Bulletproofがもともと持つ「実戦的で機能的な強さ」とは、ちょっとズレているんですよね。

 

翻訳が頭に入ってこない問題

 

そしてもう一つ。

翻訳文全体が、英語の構造をなぞったような直訳感で、頭に入ってこなかった。


文法的には合ってるんだけど、日本語としてのリズムや抑揚がない

読み進めるほどに「理解」ではなく「処理」してるような感覚になって、疲れてしまう。

 

原書の想いと大切さ。

じゃあやめるか、と思ったけど、それでも原書は読んでみようと手に取った。

すると、一気に風景が変わったんです。

 

  • なぜ脂質をベースにするのか?

  • なぜ朝食をバターコーヒーにするのか?

  • どうしてコーヒーにバターとMCTを入れるのか?

 

すべてにロジックと体験が裏付けされている

読者を煽るのではなく、実践者として語るAspreyの姿がそこにあった。

 

「Bulletproof」は、そのままがいちばんいい

 

だから僕は、それ以降Bulletproofという言葉はそのまま使うことにしています。

“防弾”のように、自分を守る。

“貫かれない”という強さをもつ。

でもそれは完璧を目指すのではなく、不必要な攻撃を受けない構造を作ること


これはもう、単なる食事法ではなく「思想」や「姿勢」なんですよね。

 

バターコーヒーも、Bulletproofなライフスタイルの一部

 

僕らがつくっているクリーンなカビなしコーヒーも、まさにBulletproofな世界の一部。

ただの“完全無欠コーヒー”ではなく、

 

  • 身体に不要なもの(カビ毒・欠点豆)を取り除く

  • 脂質代謝をサポートする

  • 朝の集中力を最大化する

 

そういった実用的なクオリティの積み重ねが、結果としてBulletproofになる。

 

「完全無欠」は便利だけど、センスがない

 

今でもよく目にする「完全無欠○○」という言葉。

 

  • 完全無欠の食事

  • 完全無欠コーヒー

  • 完全無欠ダイエット

 

響きが強くて、使いやすい。

でも、全部それで統一してしまうと、思考停止してるように見えてしまう。

BulletproofはBulletproof。

強くて、シンプルで、機能的。だから僕は、これからもこの言葉をそのまま使った方が良いと思う。

 

「翻訳からこぼれ落ちた言葉の余白」に、最も本質が宿っている。

そんなことを、あの本を通して強く感じた話でした。

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